仏教三大聖樹「無憂樹・天竺菩提樹・沙羅双樹」のひとつ無憂樹より由来。
釈迦の生母摩耶夫人が御産のため実家に帰途される道中、藍毘尼園で休息をとられているときに産気づき無憂樹の下で釈迦(悉達多)出産されました。
有名句「天上天下唯我独尊」は誕生後そのまま七歩あゆみ、天地を指さし世界の救いとなる道を示されました。
無憂とは憂うれいが無くなる安心を意味します。生きとし生けるもの皆すべてのものは一切皆苦と説きます。また三界火宅とも称します。
わたしたちは生きる上で夥しい煩悶の境地に逢着します。福沢諭吉の『福翁自伝』の一節に「咽元もと通れば熱さ忘れるというその通りで、艱難辛苦も過ぎてしまえば何ともない」。
然様であるものの袖振り合うも多少の縁であり、すべては過去から深い宿業に依りすべての事象は生じていきます。
生きる上で欲は大切であり、煩悩も大切であるとするのが真言宗です。しかし、利己的ではなく利他実践を重んじ済世利人に正精進していくことが寺院の役目なのです。
釈迦、弘法大師(空海)の御教えには自己では思案に尽きることもなく除闇遍明の道を教えてくださいます。
合掌
現在もなお、高野山の氏神として明神社が祀られています。犬二匹に案内してもらい高野山上に無事に到着し、そこで松の木がありました。その松の木には三鈷杵(密教法具)が引っ掛かっていたのです。その三鈷杵は弘法大師が唐(中国)へ修行していたときに「日本の聖地を求む」と三鈷杵を投げたところ、高野山上の松の木に掛かっていたのです。弘法大師はなおのこと高野山こそ真言密教の聖地はここであると確信されたのです。現在も飛行三鈷杵(ひぎょうのさんこしょ)は御影堂に保管されており、三鈷の松といわれる松の木も根本大塔の前にあります。
和歌山県の北東部、伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの位置する場所にあります。高野山とは山の名前ではなく寺院称号を表す「山号」であり、弁天岳(985m)楊柳山(1009m)転軸山(900m)摩尼山(1004m)陣ヶ森(1106m)を五山に囲まれた盆地にあります。また、標高約1000mもある8つの峰(内外)外八葉とは一説に、金剛峯・小塔峯・山王峯・遍照峯・転軸山・楊柳山・摩尼山・姑射山とされ、内八葉とは壇上伽藍を取り囲むように剣崎峯・南虎峯・宝珠峯・薬師山・山王峯・神応岳・小塔峯・勝蓮花峯となっています。八葉蓮華(八葉十六葉)とは仏教の聖花である蓮を連想させ、曼荼羅の中心に高野山があると説きます。
高野山は宗教都市とも呼ばれ、平成16年(2004年)に世界遺産として登録されました。人口約3000人である高野山には三分の一である約1000人近くの僧侶が弘法大師の御教えを修得したいと、日々修行を積んでおります。山内には117の塔頭寺院があり、そのうち53ヶ寺が宿坊を営んでおり、宿泊者・参拝参詣者も精進料理・座禅・写経・勤行・掃除等の修行を体験できます。
そびえ立つ根本大塔(約48.5m)高野山では壇上伽藍の中心とし、密教思想の根本である胎蔵界曼荼羅を表しています。弘法大師が入定されている奥の院とならび信仰の中心とされております。これを総称して全体を金剛峯寺といいます。高野山 真言宗 総本山 金剛峯寺は高野山全体のことです。高野山が、宗教都市と呼ばれるのも、これが由縁です。
高野山の大師信仰の心の蔵(中心)であり、弘法大師が御入定(禅定)されている聖地です。
一の橋から御廟まで約2㎞の参道には、おおよそ20万基ともいわれ、織田信長をはじめ多くの諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が弘法大師のお近くで眠りたい(供養)一心で建ち並んでいます。また、一の橋より弘法大師がお迎えされ、お帰りには見送ってくれると伝えられてます。参道には樹齢千年を超える高野杉が立ち並び、幽玄な世界が広がってます。
奥之院の燈籠堂では、祈親上人が献じた祈親灯と、白河上皇が献じた白河灯の二つの「消えずの火」があり、千年の年月を超え今もなお火を絶やさず、無明を除く意味を込め燈し続けております。「長者の万灯より貧者の一灯」ということわざが有名でもあります。
燈籠堂の堂内では多くの寄進者により灯籠が灯され幻想な世界へと導かれます。
御入定された1200年の今も一日に2回、お食事を弘法大師さまのおられる御廟に届けられているお食事です。
古来の風習であった女人禁制は、明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」により多くの霊山など解禁となり、高野山では明治39年に解かれました。
現在では、萬民平等差別戒名追善法会を行うなど差別反対に取り組んでいます。
現在、日本では多くの仏教宗派が存在しております。しかしながら、元の教えは約2,500年前に仏教を開祖であるお釈迦様(仏陀)の教えが広がったことで多くの宗派が時代とともに増えました。この宗派だから、わたしは信じない。この宗派はわたしに合っているからこの宗派。それも選択肢としては間違っておりません。仏教ももちろんのこと宗教という枠の中に存在しています。しかし、宗派を超えて善きことを学び、善き人生へと歩んでいくことで幸福を得られます。人生は有限なる命であり、無常迅速に時の流れはとてもはやいものです。「あ〜しておけば良かった。こ〜しておけば良かった」と、考えることはしばしばあります。そこには人間がもつ煩悩が存在するからです。煩悩が欲へと変貌し、迷いが生じます。「迷い」こそが人が苦しむ根本的な要素に値します。迷いは幾度の選択肢の失敗があったからこそ、迷いに気付き、迷いの苦しみに気付くものです。迷わないためには信心(自分の生き方)をもつことが大切なこと。当庵では真言宗の開祖こと弘法大師(空海)を信じております。お大師さんの教えには不思議な神通力が宿っており、現在でも多くの人々が四国お遍路や護摩祈祷に高野山などへご参詣ご参拝をされておられます。これからも苦しみが生じたときには、この宗派の僧侶にしか信じないのではなく、この人を信じてみようと思考を変えてみることで楽になれます。またお大師さんの数々あるお言葉を残されました「遍照発揮性霊集」の中にこのような詩があります。「封著して狂迷すれば三界熾なり。よく観じて取らざれば法身清し」と、弘法大師十大弟子である真済が遺してくれております。この言葉は、人は固定観念や物事に執着することで苦しみが生じ、苦難から脱することができなくなっています。心を解放し清らかな心を常に養うことが大切とお伝えしております。
合掌