高野山真言宗の布教、御詠歌、宗教舞踊等の総本部で、各種研修会や講習会が開催されています。大講堂は大正14年(1925年)、高野山開創1100年記念として建立され、本尊には弘法大師、脇仏に愛染明王と不動明王が奉安されています。
私たち支部でも同じように弘法大師の教えを多くの方に広め、善き人生をお運びいただけるよう努めております。
また、大講堂の奥には授戒堂があり、菩薩十善戒(日常の生活の中で実践する仏教的規範)を阿闍梨よりお授けいただけます。
一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)といい、涅槃経に記された言葉があります。人は皆、仏になる可能性があるとしています。わたくしたちのいる現世のことを此土(しど)もしくは此岸(しがん)といいます。この現世なる世界では苦しみ(一切皆苦)の中で生きているのです。また、浄土といわれる清らかなる来世と異なり、こちらの世界のことを穢土(えど:汚れた世界)ともいいます。わたしたちはこの現世に縁があって来ているのです。それは生きるということです。生きるということは修行するということであります。
なぜに苦しい世界なのであるかは、「迷い」があるからです。人は迷うことで、後悔が生じます。迷わない生き方を持つことで人は納得した生き方を積み重ねていけるのです。そのために四諦八正道を実践することで釈迦(仏陀)は仏になれると説いたのです。弘法大師 空海も「それ仏法 遥かに非ず、心中にして即ち近し」と言っているように、人は皆心にこの身をもって仏になることができると説いております。そうです。釈迦も空海も「悉有仏性」が誰にでもあることを言っているのです。人は一人では生きていけません。誰かしらにお世話になり、見えないところに多くの感謝をすることが大切であります。高野山 真言宗では「相互供養・相互禮拝(礼拝)」を大切にしております。
亡き人がいなくなったから、もう何もしなくていいと考えるのではなく、わたしたちは先祖があって今の命を引き継がせていただき、仏になる修行(すべての人)という素晴らしいご縁をいただき、生かさせていただいているというご恩を感じることが大切であります。また、相互礼拝も同じように互いに良くなるように心に合掌する心が大切です。一日一日を相互供養・相互礼拝することでよりよい社会、よりよい人間関係が構築され、平和な心がすべての人に宿されていくのです。
合掌
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仏教では戒律を守りながら、日々精進し生きております。
戒律とは「戒」と「律」とに分けられており、二つが合わさって戒律となりたっております。
・「戒」とは
仏教の信徒が守るべき規範であり、戒め(いましめ)と書きますように、行為や習慣を正すのに大切なことです。
・「律」とは
私たちは世の中を多くの人と関わりながら生活をしています。仏教では集団のことを表し、集団の規律を外さない行動を心に留める大切なことです。
人は日常の中で、自分の生き方を多少なりとも持っているものです。しかし、その生き方にときには自分を追いつめ苦しんでむときもあります。仏さまの戒律を授けることは、仏さまと約束するということで自分自身と約束することであります。仏さまのご加護を受けながら安心と、幸福への新たな生活を切ることができるのです。
真言宗では三密(身・口・意)を根本に修行を積みます。
・身=行動(身体で印)
・口=言葉(真言を唱え)
・意=心構え(仏を心に思う)
「口は災いのもと」とも ことわざでありますように、意識したことは言葉や行動に変わり、間違ったことを思うことは行動や言葉遣いにでるものです。仏さまの戒律を持つことで、自分の生き方に自信が付き、自分らしさを持って日々を過ごすことができます。では、十善戒とはどのようなものでしょう?
1、不殺生=無駄に生き物を傷つけない。
2、不偸盗=他人のものを盗まない。
3、不邪婬=不倫やふしだらなことをしない。
4、不妄語=嘘をつかない。
5、不綺語=適当なことを言わない。
6、不悪口=悪口や傷つくことを言わない。
7、不両舌=誰にでもいいことを言わない。
8、不慳貪=欲張らない。
9、不瞋恚=怒らない。
10、不邪見=間違った考え方をしない。
このように十善戒は示されています。しかし、単純な10の項目を守っていくことは難しいことであります。人には煩悩があり欲があることにより、一定の理性を越えようとする働きをします。そこで、高野山 大師教会で授戒を授かったことを思い出してもらうことで、少しずつ良き方向へと導かれ、煩悩を抑制することができます。
般若心経は数あるお経の中でもご存知の方が多いと思います。しかしながら、意味を理解されておられる方が非常に少ないのも事実です。般若心経は元々は大般若経という600巻(60億40万の言葉:漢語460万語)という膨大な経典をたった266文字(題目含むと278文字:真言宗では経頭に「仏説」が付きます。)に集約されたお経です。有名な西遊記にも登場する人物「玄奘三蔵(602年-664年)」という約1400年前に実在されました僧侶(三蔵法師)です。この三蔵法師(経・律・論に通達した高僧)が大般若経の「空」を中心に集約され般若心経を漢訳されました。では、空とはなんなのか?サンスクリット語でシューニャといいます。意味は「0」ゼロという意味です。まだ分かりにくいですね。人は煩悩というものを持ち合わせています。こればかりは消えるものではありません。お大師さん(空海)は、般若心経秘鍵ではこのように記しています。「般若心経は仏教の精要 密蔵の肝心なり このゆえに誦持講供すれば苦を抜き楽を与え 修習思惟すれば道を得 通を起す まことにこれ世間の闇を照らす明燈にして 生死の海を渡す船筏なり 深く讃仰し 至心に読誦し奉る」読んでも良し・書くのも良し、読経することでたちまちに善くなっていくことを伝えております。奈良の薬師寺の中興の祖 高田好胤元管主は「かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心 ひろくひろくもっとひろく これが般若心経の空の心なり」と常に言っておられました。このように人は何かに執着や固定観念に惹きつけられる生き物でもあります。般若心経を日々唱えることで、皆さまに功徳がありますことをご祈願いたします。
合掌