仏教とは

 仏教とは字のごとく、仏(釈迦)の教えを学ぶことで人生を豊かに幸福へと導いてくれているということです。
では「仏」とは何なのか?と、質問がでます。仏とは悟りを開いた人(真理)のことを言います。多くの仏像がありますが人として悟りを開き仏と成ったのはお釈迦様お一人です。「八万四千の法門あり」といわれる多くの経典が仏教にはあります。その数七千を超えるとも言われます。

「釈迦の前に仏なし 釈迦の後に仏なし」

 と、いわれるほど人間が豊かに生きていく真実と知恵をお伝えされましたお方です。

 仏教の開祖でありますお釈迦様は今から約二千五百前(紀元前5世紀)、35歳のときに悟りを開かれ80歳(涅槃)まで四十五年間に渡り人々に悟ったことを教えられました。その教えは現代でも多くの人々(衆生)を善き道へと導いてくれます。また仏像を目にされた方はご存知の通り「蓮の花」に台座されてることと思います。
 中国の成句の中に「蓮は泥より出でて泥に染まらず」とあります。蓮は泥水の濁った環境で育ち、綺麗な蓮の花を咲かせます。また蓮は綺麗な水の中では小さな花しか咲かせません。人間も同じように苦境や困難があり、四苦八苦の中で人は生きているのです。そして色々な人生が織りなしはじめて完成(仏)となり花を咲かせるのです。お釈迦様もこのように人は生きることは修行であり、蓮のように濁った泥水の環境で生きるからこそ、大成したときには幸福という充実があると言っています。

 悟りにも色々な悟りがあり、段階があります。「さとりの52位」と言い、お釈迦様は最高位の仏覚です。悟りにランクを付けることは差別では?と、感じる人もいるでしょう。しかし、悟りにもランクを付けることで人は精進し、上を目指します。善きことで上達することは決して駄目なことではありません。

 有名なダルマさん(達磨大師)は、禅宗の祖であり、壁面九年と壁に向かい禅を続けられました。超人である忍耐の究極を得られた徳の高い高僧です。しかし、達磨大師は私はまだ30位くらいだと言っておられます。また、中国の天台宗の祖である天台大師は臨終の際にお弟子さんから「師はいずれの位まで悟られましたか?」と問われ「ただ五品弟子位(10段目より下位)あるのみ」と答えている。

 悟るということはとても深く、真理を知ることであり、全てのことにおいて悟ることは至難であると言えます。お釈迦様は最高位(仏覚)でしたが、仏教は全ての人々に絶対の幸福を与えることを説いておられます。

◇ 釈迦とは

ゴーダマ・シッダールタ

2500〜2600年前

 お釈迦様(仏陀)は、北インド(現在のネパール)の小国シャーキャ族の王子として04月08日に誕生されました。本名はゴーダマ・シッダールタであり、シャーキャ族の出身から日本語に転じた語を釈迦と言っています。

◇ 四門出遊

 お釈迦様は国王のご子息として何の不自由なく生活を送られていました。多感であったとされる若き釈迦は、付き人を連れて外出をしました。この四門出遊が機縁となり出家(僧侶)する志しを立てることになりました。

・東門

 初めは東門から出られると、そこには「老いた」老人がいました。腰は曲がり、あられな姿を目にし、お釈迦様はあの人はなんだと付き人に聞かれ、「人はいつかは皆あのように老いる」と聞かされ驚かれました。いずれ私もあのような老いた姿になってしまうのかと、不安と苦しみが生じました。

・南門

 次には南門を出ると「病」にかかり苦しんでいる人に出会いました。あれはどういうことだと聞くと「いつも元気である人間が突如として病気にかかると苦しむのです」と言われお釈迦様は悩み苦しみました。

・西門

 そして、西門を出ると葬儀の行列を見ました。あれはなんだと付き人に訪ねると、「人には寿命があり、いつかは死ぬのです」と、悲しみを抱えた人々を見ては悩みました。そして、人はなぜ生きるのだろうと悩み苦しみました。

・北門

 最後に北門を出ると一人の沙門(修行者)と出会います。あれはなんだ「修行者です。生きる力をもった方です」と、お釈迦様は驚き、人は修行することで凛とした姿でいられることを感じ、王子であった身分を捨て、城を出て出家したことが仏道への始まりです。これを仏教では「四門出遊」といいます。

 計り知れないほどの苦行をされたお釈迦様は骨と皮だけに痩せ細り、死を直前にされました。

釈迦 苦行の様子

 そこでお釈迦様はスジャータという娘に助けてもらい乳粥を施してもらい生き延びることができたのです。この時、お釈迦様は死ぬような苦行は必要がないことを悟ったのです。仏(悟り)に至るまでの行程で、有限なる命に無駄なことは必要がなく、正しいことを真っ直ぐに進むことが仏への近道であると悟るのです。これを仏教では「中道」といいます。この中道から外れ、煩悩の赴くままに生きる人を外道といいます。

 では、正しいことは何なのかと疑問が出ます。次のことにまとめてみます。

八正道

 「八正道」とは

1.正見(しょうけん)
2.正思惟(しょうしゆい)
3.正語(しょうご)
4.正業(しょうごう)
5.正命(しょうみょう)
6.正精進(しょうしょうじん)
7.正念(しょうねん)
8.正定(しょうじょう)

  の8つです。

1.正見

「正見」とは、正しく物事を見る心です。

2.正思惟

「正思惟」とは、正しく考え、正しい意思を持つことです。

3.正語

「正語」とは、正しい言葉を使うことです。

4.正業

「正業」とは、正しい行為をすることです。

5.正命

「正命」とは、正しい生活をすることです。

6.正精進

「正精進」とは、正しい努力をすることです。

7.正念

「正念」とは、正しい信念を持つことです。

8.正定

「正定」とは、周りの流行りなどに振り回されず正しいことを見定める心です。

 上記の8つの正しい行をおこなうことで、人は悟りへと近づける実践なる徳を積ことです。私も日々の読経の中に八正道をお唱えさせていただいております。

 「無くて七癖、あって四十八癖」ということわざがあります。
それは良い癖を心身に薫習(染みこます)することで、人は善道へと命を運んでいくのです。

運命

 私たちの人生は自分が主役です。楽しくするのも、悲しくするのも、苦しくするのも、自分次第です。

 生きていく中には幾度と困難に会うものです。雨が降れば傘を差すというように当たり前の出来事の中には、天気の変化で傘を忘れ困難をされた方も少なくはないはずです。

 すべては「心」が創りだすものであり、常に心は変化を伴います。仏教では「諸法無我」といいます。

 大切なものほど目に見えず、時には自分の顔をじっと覗いてみてください。そうすると色々なことが見えてきます。この顔は親からもらった大切な顔であり、どことなく似てることしばしばです。ご先祖様にお会いしたことがないお方は写真を通じてくらいと思います。また、先立たれたご両親にもう一度会いたいこともあることと思います。そんな時にふと鏡を覗くことでご両親の名残りが皆様に宿っているものです。

 なぜに今、私が存在しているのか?普通に生活ができているのかを考え直すと、感謝しかでてこないものです。

 「感謝」とは深く、よく聞くお言葉ではありますが、何が感謝なのかお伝えします。

1.知恩(感謝の原因を知る)
2.感恩(なぜに感謝が生まれたのか)
3.報恩(どのように恩を報いれば)

 感謝の中には3つの要素が含まれています。

 人は感謝を噛みしめることで、深みがでてきます。そこには安易な思考で人を判断してきたことに変化が生じます。

 十人十色といわれる人々には、千差万別の見方があります。しかし、ここで大切なのは平等。しかし、平等はあるのか?成立するのか?と考えるとこれは難しいものです。だからこそ、難しいことは簡単に考えるのです。平等を意識し、できる限り平等に近づける心を持つことで平和が訪れます。

 「運命」とは字のごとく、命を運ぶと書きます。この世に生まれてきた自分の命を充実した人生にするために、他人を施し自分が愛される人間を目指すことで、運命は切り開けます。

合掌

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